先日の節分の日のこと。
ごはんを食べに行った先のお店で、隣の席に座ったおじさまから
結婚式のスピーチで定番の「3つの袋」の話ならぬ、
「3つの福」の深いい話を聞きました。
私ははじめて聞いたお話だったのですが、
調べてみると、明治の文豪 幸田露伴の自著「努力論」で主張されたものだそうですね。
この本は、約百年前の大正二年(1931年)に初版が発行されているのですが、
今聞いてもなるほどと思わされる、心洗われる内容でした。
【3つの福】 とは
①惜福
「福を惜しむ」
福を一挙に使い尽くしてしまわないこと。
幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である
②分福
「福を分ける」
福は独り占めせず人にも分け与えること。
すべて人世の事は時計の振子のようなもので、右へ動かした丈は左へ動き、 左へ動いた丈は右に動くもの、自分から福を分ち与えれば人もまた自分に福を分ち与えるものだ
③植福
「福を植える」
これからのために今から少し福の種を蒔いておくこと。
過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、望ましい未来につなげることが出来る
どの福も、自分だけで一気に使わず、
少し取って置き、少し分け、少し次に残す
というとても素敵なお話です。
みんながこんな風でありたいと心がけることで
百年先もいい社会であり続けるんだろうなと思いました。
壮大なことは差し置いて、
自分が心に響いたお話をまずはおすそわけしてみた高橋でした。